ABOUT

トム・パリッシュ氏

トム・パリッシュは70年代後期から80年代にかけてハワイ・ノースショアで人気ナンバー1だったトップシェイパーだ。
当時はプロフェッショナルサーフィンが勃興し、冬のノースショアでのパフォーマンスでサーファーの価値が決まった時代だった。オーストラリアからのプロコンペティター達もこぞってトムがシェイプしたライトニングボルトのラウンドピンを駆使して見せ場を作っていた。
プロフェッショナルシーンに必要な優れた道具。そのニーズに的確に応えたのがトムだったのだ。トムのボードが素晴らしいのはシンプルでラインの結びが美しいことだ。乗りやすさスピードにつながる緻密なクオリティが伝わってくる。人物として物静かで繊細。ものつくりにかける情熱とポリシーをしっかりと内に秘めた頑固な職人魂に共感してしまう。
彼のシェイプするボードには、そんな人間性がそのまま美しいラインとなって反映されている。私も同時代にライトニングボルトを手がけたシェイパーとしてトムの美しいシェイプと活躍に憧れをもっていた。確かにジェリー(ジェリーロペス)も、リノ(リノ・アベリラ)、BK、ビル・バーンフィールド、エド・アングロといったスターシェイパーが勢揃いしていたライトニングボルトサーフボードのシェイパーの中でもトムのスキルには信頼を置いていた。そのトムがカムバックしてくれたことは嬉しいことだ。美しいラインの復活が楽しみだ。

Y.U Surfboards 植田義則

下町辺りでたまたま見つけた駄菓子屋の前で、ふ菓子やせんべいをまとめ買いしたくなる衝動にかられたことはないだろうか。ラジコンでも何でもそうだが、幼少時代にほしくてほしくてたまらなくて、けれどもそれがかなわなかった物というのは、大人に なってからも自分の中で色褪せないものである。

その感覚をサーファーに置き換えてみると、とりわけ私の世代においては、稲妻マークでおなじみのサーフボード、それも トム・パリッシュ・シェイプによるライトニングボルトとなる。

‘70年代後半当時のサーフ・ムービーや雑誌をにぎわせていたのは、ラビット・バーソロミュー、ショーン・トムソン、 マーク・リチャーズ、イアン・カーンズやジェリー・ロペスといったサーフ・ヒーロー達だ。そして彼らがハワイのノースショアで 乗っていたサーフボードは、必ずといっていいほどトム・パリッシュのシェイプによるものだった。トムは当時のいわばカリスマ・ シェイパーで、彼の削る美しいアウトラインのサーフボードは憧れの的だったのだ。

ノースショアにてもちろん私もトムのボードに憧れたうちの一人である。私が初めてハワイに訪れたのは’78年の20歳のころで、レオ永原さん、 なっかん(中川●●氏)の世話になって4ヵ月滞在したが、まっさきに当時ホノルルにあったライトニングボルトのショップに足を 運んだものである。しかし、時の人だったトムのボードは店に一本もなく、あきらめざるを得なかった時のくやしさを今でも鮮明に 覚えている。私はその翌年、堀口元気さんとハワイを訪れ、一緒にトムのボードを手に入れているが、その時の堀口さんのボ ードが、’05年に30周年を迎えたダブウエットスーツの記念パーティ会場内に飾られていたことからも、トム・パリッシュのボードが いかに我々の世代にとって高嶺の花だったかが、若い人達にもわかってもらえると思う。ちなみに余談だが、この写真は‘81? ’82年のノースショアで、テル大橋さんの家に滞在していた時に撮ったもの。 となりの部屋には、現在プロ・サーファーとして活躍する善家尚史くんの父親である善家誠夫妻が新婚旅行で泊まっていたの だから、あれからずいぶんと月日が流れたものである。

話が反れたが、なぜトム・パリッシュのボードが私の心をつかんだのかというと、もちろん当時のカリスマだったこともあるが、 それだけではない。トムのシェイプに対する姿勢に感銘を受けたからだ。現在のマシン・シェイプに代表されるように、サーフ・ ビジネスの趨勢は当時からサーフボードを量産する方向にあった。 トムほど知名度があるのなら、シャドー・シェイパーを雇ってたくさんのボードを造るのが当然とされていたのだ。けれどもトムは それをしなかった。一本のボードに2、3日かけることもあるというほど、一本一本自らの手でていねいに削っていたのだ。 店にボードが置かれていないわけである。私はそんなトムの職人気質なところに惚れたのだが、時代はそれを許さなか った。世の中の変化があまりに早すぎて、彼の考え方ではついていけなかったのだろう。ライトニングボルトの崩壊とともに、 彼はサーフィン業界から離れることになり、彼のボードをオーダーすることは不可能となってしまった。私が持っていたトムのボードは 手に入れてから早い時期に、すべて折ってしまっていたので、結局手元には一本も残らなかった。

それから数十年経った5年前のことである。メインランドの友人から衝撃的なニュースが飛び込んできた。なんとトムがトム・カレンのた めにシェイプしたというのだ。この時の私の興奮をどう説明していいのかわからない。私はあらゆる友人のつてを借りて、トムと会う約束を 取り付け、彼の住むマウイへと飛んだ。そこで当時ほしくても手に入れられなかった人達のために、ボードを削ってほしいと本人に願いでた。 そして、その思いは受け入れられたのだ。

トム・パリッシュの広告に植田義則氏のコメントを依頼したのは、当時ライトニングボルトのシェイパーだった彼の方が、口下手な私より トムの魅力を上手に説明してくれると思ったからだ。この本が出るころには、トムは日本に来日して私のファクトリーでシェイプしているは ずである。私はみんなに先がけて、すでに3本彼のボードを手に入れた。もっとも、そのうちの一本はすでに折れてしまったが…。

うえだ・まさひろ

1958年、大阪生まれ。四国を拠点にスマック・サーフボードなどを手がけるサウスボーダー代表。 ビッグ・ウェーブ・ハンターとしても知られるソウル・サーファー。

~サーフィン雑誌「NALU」の記事より引用~